氷雨の場合。
「あなたのすべてをゆるすから、心配なんてしなくていいよ」
なんていうんだろう、彼女の愛はひたすら献身的というか、一歩でも間違えたらさらっと自己犠牲に走りそうな感じ。
「ゆるす」って言うのは、上から目線なアレじゃなくて、受け入れるとか許容するとか、そう言う意味で。
人間って、やっぱり表面と内面ってあると思うんだ。
普段はね、たぶん表面だけを見られがち。
「○○ができる」とか「イイコ」とか、社会生活をちゃんとこなすうえで必要な部分。
確かにそれも大事で、それを認めてもらいたくて人は表面と内面を使い分けるんだけど、でもやっぱりそれだけじゃ虚しいわけで。
「自分がもしイイコじゃなくなったら、愛してくれないのかな」みたいな。
ほんとは存在ごと愛してほしいし、例え悪い子でも許してほしい、みたいな甘えって人間どっかしらあると思う。
氷雨は、その隠した内側すらも愛してゆるす人。
何が出来なくても、悪い子でも、その人の存在そのものを愛してるから氷雨はきっと笑ってみんな許すんだと思う。
相手の「存在そのもの」を愛しているから、彼女の「好き」に理由はない。
優はああ見えて「どうせ俺が、」みたいな無価値感が強い。
なまじ器用になんでもできちゃうから、「自分が上手いこと立ちまわれないようなヤツだったら、必要ないんじゃないの」って思ってた。
でも氷雨が優の存在全部を愛してくれるから、今ではだいぶその気持ちも薄れたんじゃないかと。
これは優に対してももちろんだけど、姫とか蓮とか、氷雨にとっての「身内」には、氷雨はこの目線で接してる。
姫が氷雨に懐いたのはたぶんこのせい。
母親みたいな愛、っていうのかなー。
「あなたがあなただから、愛しているんだよ」っていう。
でもって「あなたはちゃんと愛されてるんだから、なんにも心配しなくていいよ」。
上手いこと書けないのでこんな感じで纏めてしまう。
優の場合。
「俺は君を認めているんだから、怖がらなくても良いんじゃない?」
氷雨と似てるんだけど、ちょっとスタンスが違うというか。
氷雨が母親的な愛だとしたら、優は父親の愛って感じ。
さっき書いたけど、人間には表面と内面があって。
どんなにしれっとオトナの顔をしていても、たぶんみんな多かれ少なかれ内面の子どもをなだめてすかして、そうやって生活してる部分ってあるんじゃないかな。
あんまり内面をないがしろにすると、そのうち暴動が起きるんだけど。
優の愛は、その表面の努力を認めること。
内面で足掻いてもがいて、ときどきは折れそうになりながら作り上げている「表面」がある。
優は一番年上だからってせいもあるんだけど、たぶんいちばん「社会的な」生活をしてる人だと思う。
内面を認められたい、甘えたいって気持ちもわかる。
でもそれだけじゃ生きていけないのを身に沁みて解ってるし、その「表面」を維持することのしんどさとかにもいちばん理解が深い。
だから優の愛は、表面を維持するための努力に敬意を払うこと。
あと、氷雨の場合は、例え相手がどんな選択をしてどんな結果を出してもそれを許す。
でも優の場合は「選択をした相手自身」をみとめるというか。
だからその結果にたいしては、ツッコミを入れたりもすると思う。
でも結果を出したその人自身のことを認めてるから、それもアリってなるんじゃないかな。
氷雨も氷雨で、いままで当たり前のように「イイコ」でいた。
わりと大人が敷いたルートの上を要領よく歩いてきたタイプだから、自分が決断を下すことには慣れてない。
だから、例え選択肢を間違えてもその選択云々によって嫌われたりとか、そういう心配をしなくていいんだよっていう優の感覚はありがたかったんじゃないかな。
昨日の二人ほど上手く伝えられないなぁ。
やっぱり年季の違いですかね、これは。
でもひたすらこういうこと考えてるのは楽しいです。
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