※『彼と彼女。』、天使シリーズ。
僕のご主人さまは、ソムヌスとは相性が悪いらしい。
「…」
僕のハンモックの斜め下、細いため息が聞こえた。
続いて居心地悪そうに寝返りを打つ音もする。
彼女がベッドに入ってからもう二時間、一度も眠りに落ちる気配がないままシーツばかりが乱れていく。
「……、」
最初は僕の気配があることに慣れていないからかとも思った。
だけどそれも今日で三日目、どうやら彼女は根本的に眠るのが苦手のようだ。
こうして長いこと眠れないまま夜を過ごして、明け方近くに溺れるみたいにして薄い眠りにつく。
それでも朝と呼べる時間に目を覚まして、酷く不健康そうな顔をしてベッドから降りるのだ。
そして微笑むんだ、僕の姿を見て。
おはようと幸福そうな声音で囁く君は、僕の前で一度だってその神経を眠りに投げ出したことがない。
「(…ねぇ)」
心の中で問う。
君たちは、僕らと違って脆いんだ。
こんな風に眠れないまま過ごしていたら、あっという間に壊れてしまうよ?
まるで人間の脆弱さそのままみたいな彼女の薄く華奢な身体。
それは、容易く壊れてしまいそうで僕は――怖いんだ。
「…困ったな」
ついに君が起き上がった。
僕を起こさないように、できる限り音を立てないようにしているのがよく分かる。
…そんなことしたって無駄なのに。
残念ながら、天使は人よりも頑丈だ。
「…さて、」
一度彼女は僕の方を見上げて、それから少し考えてから枕もとのキャンドルを取った。
僕の背から抜け落ちた羽を一枚拾って、ひらひらとそれを振る。
ふ、と宿るちいさな灯火。
彼女はそれをキャンドルに寄せて、火を移す。
明りをその手に捧げ持ったまま、ぼんやりと何かを考えているらしかった。
眠れない夜。
眠らない君。
夜ばかりが足音を速めて、君はいつまでも取り残されたまま。
タロットカードの愚者みたいな横顔で。
君は炎を見つめてる。
白い陶器のような肌は柔らかな明りに照らされて、今だけは人形めいたその様を潜めているようにも見える。
「…」
もう、耐えられなかった。
ばさり、と一度翼をおおきくはためかせて、真っ直ぐに彼女の元へと降り立つ。
「え、あ、ごめん起こしちゃった?」
見当違いな言葉を放つ君からキャンドルを取り上げて、ふっとその炎を吹き消してしまう。
急に暗くなった部屋、けれど熱はほら――此処に。
「…寝るよ」
「え?」
強引に彼女をベッドに縫いとめて、毛布を肩まで引き上げる。
その横に僕も潜り込んで、ぎゅっとその小さな頭と肩を抱きしめた。
反論は認めない、君は僕に守られて、眠ればいいんだから。
「え、え、」
「…おやすみ」
なるべく丁寧に頭を撫でる。
しばらく困ったように君は身体を強張らせていたけれど――不意に、ちいさくわらう声が聞こえた。
心底からやわらかな、夢みたいな笑い声。
遠くとおく、神様の膝元にいたころにだって、聞いたことがないくらいの。
――君が笑ってくれるなら、なんて。
陳腐な台詞を本気で唱えたくなるくらいに優しい声だった。
「…うん、おやすみ」
そう言って、背に細い腕が回された。
子供が人形を抱きしめるみたいな強さで、君は僕にしがみつく。
初めて確かめる体温に、微笑んだのは君か僕か。
「…(あぁ、)」
救っているのは、どちらだろう?
どうしたって手放せない温度に、僕は酔いしれて目を閉じる。
おやすみ、僕のご主人さま。
明日また、君がおはようと笑ってくれることだけ夢にみたい。
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