自分の名前が、嫌いだった。
「雨月、」
雨夜の月。
厚い雨雲に覆われて、見えない場所に浮かぶ月。
誰も見ていないところでも、凛と輝く月で在れ。
――私が小さいころ亡くなった祖父は、そんな風に私にこの名を与えたらしい、けど。
「…うげつ、ねぇ?」
何千回も書いたであろう、自分の名前をなぞる。
だいたいなんなのよ、雨月って。
確かに字面で見たらきれいだと思うけど、読み方が「うげつ」ってどうなの。
雨月物語って言ったら怪異小説でしょ、雨や月の晩に怖いことが起きるっていう。
まぁ、名は体をあらわすとはよく言ったもので。
私は見事に、月夜の「コワイモノ」そのものになりました、とさ。
自分がある意味じゃ怪異よね、清らかな名前の真っ白い戦闘狂よりはマシだけど。
『ウゲツだって、変な名前』
『お化け小説の名前なんでしょ?』
そんなことを除いても、昔からそうやってからかわれることが多かったせいか、私は私の名前が嫌いで。
もっと分かりやすくて可愛い名前が良かった、そんな風に思ってた。
「――うげつ、」
「……隼人さん」
物思いにふけっていると、くい、とポニーテールを引っ張られた。
振り返れば、見慣れた笑顔が私を見下ろす。
「お待たせ」
「ううん、大丈夫」
「帰ろうか」
差し伸べられた手に私は笑って手のひらを重ねた。
ふざけてぶんぶん振り回したら、落ち着けと苦笑される。
「雨月のお子様」
「お子様じゃありません18ですぅー」
「はいはい雨月さんはオトナでしたねー」
適当感満載な対応にむくれたふりして、だけどこっそりと笑って。
あぁ、なんて、なんて。
この人が呼ぶ私の名前は、どうしてこんなにも綺麗に響くのかしら。
私が嫌った私の名前。
だけどこの人に呼ばれるときだけは、ひどくうつくしいとさえ思う。
それこそ、凛と胸を張れるような。
「…ねー、隼人さん」
「うん?」
私の名前を、呼んでいて?
なんてワガママ、口に出したりはしないけれど。
代わりににっこりと笑って、つないだ指先にぎゅっと力をこめる。
「大好き」
「…そりゃどーも」
あぁ、ほら。
君はたやすく私を幸せにする。
君の声が届いて、私の声がとどいて。
そんな位置に、いつまでもいたいと願いをこめた。
(流れ星のない空で)
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