完全に、迷子だ。
思い知って、ため息をついた。
吐いた息は真っ白で余計に寒さが身にしみて、同時に心細さに泣きたくなる。
「…別に迷子でもなんでもないのだけど」
呟いてすこしだけ笑う。
だってここは家から15分も離れていない海岸沿い。
帰ろうと思えば今すぐ帰れるし、迷子というのはほんとのところ大嘘だ。
だけど、それでも。
完全に、気分は迷子だ。
「…どうしよ」
立てた膝に顔を押し付ける。
本当だったら今すぐ帰って、勉強しなきゃいけないのは分かってる。
こんなところで「受験生」がふらふらしてて良いはずない。
しかも、時期も時期だ。
今は真冬で、試験はもう目の前。
風邪なんて引いていられないのに、どうしてわたしは帰れないんだろう。
「受験生、か…」
周りの友人は、次々と進路を決めていく。
そりゃそうだ、一次試験はそろそろ終わるころだろう。
不合格に立ち止まって足掻き続けているのは、わたし独りだ。
受験ノイローゼなんて、言葉にしたら薄っぺらで。
嘘かほんとうかもわからなような使い勝手のいい言葉。
そんなものに、自分がぶち当たる日が来るなんて思いもしなかった。
「……もう、やだな」
疲れた。
疲れたよ。
もう頑張りたくない、逃げ出したい。
やめてしまいたいよ、今すぐに。
口を開けば出てくるのは、誰にも言えないままの甘ったれた弱音と泣き言。
なまじっか中途半端に成績が良いから、つい見栄を張ってしまった結果がこれだ。
もう一度深くため息をついた、そのときだった。
「…?」
砂を踏む音がすぐ近くで聞こえて、何の気なしに顔を上げた。
視界に飛び込んだそれに、思わず息を止める。
「(………嘘みたい)」
わたしのほんの、数メートル先。
立っていたのは、それはもう綺麗な女の子だった。
人形みたい。
彼女が動いてることがそもそも不思議に思えるくらいに、人間味のうすい美貌。
不躾なくらいに見惚れたわたしに気付いたらしく、その女の子はぱっとこちらを振り返る。
そして――微笑んだ。
「こんばんは」
「こん…ばん、は」
…喋るんだ。
当たり前のことなのに、彼女に関してはそれすらも驚きだった。
「寒いね」
「そう、ですね」
彼女は静かにそう言う。
遮るものがないから、この季節の海は本当に寒い。
「寒いね」という言葉に、わたしは自分の体が芯まで冷えていることを思い出す。
嗚呼、嗚呼。
できることなら、このまま凍ってしまいたい、な。
「…帰らないの?」
目を閉じた暗闇に、しみこむ彼女の声。
それにじわりとにじむようで、わたしは俯いた。
「…帰りたくないんです」
「そっか。じゃあ、一緒だ」
足音が近づいて、彼女がすぐそばに立ったのが分かった。
そうして隣に落ち着いた気配。
「…あなたも、帰りたくないんですか」
「うん」
「おんなじですね」
「おんなじ、だね」
ぽつりぽつりと、言葉を交わす。
名前も知らない女の子。
彼女の美貌と、濃くなり始めた夜の色が合いまって、これはもしかしたら夢なんじゃないかとさえ思う。
「だけど、風邪をひいちゃうよ?『受験生』」
「…聞いてたんですか?」
「うん、ごめんね」
だけどその言葉に、思い出す。
いつ終わるのかも分かたないような、八方ふさがりのこの状態。
あぁそうだ、わたしはどこにも逃げられない。
「…正直、もうどうでも良いんです」
「ほんとうに?」
小さな嘘は、たちまち見透かされる。
彼女の大きな黒い瞳は、ぱちりと瞬きわたしを映す。
「…ごめんなさい、嘘です」
「ふふ、知ってた」
「だけど、このままじゃあなたも風邪をひいてしまいますよ」
見れば、彼女はコートを羽織っているけれどポニーテールのせいか首元は寒々しく。
白い首はそのまま折れそうで、少し怖い。
「…あたしは、大丈夫。どうせすぐに治るもの」
彼女はそこで、少しだけ淋しそうに笑った。
その言葉の真意は分からなかったけれど、だけどわたしは、それは違うと思う。
その言葉の通り、すぐに風邪が治るのだとしても。
こんな風に彼女が、冷たい潮風にさらされてて良い理由にはならないはずだ。
彼女が守られない理由に、なるはずがない。
引き寄せたカバンから探り出したストール。
学校で寒いときに肩掛け代わりに使っているものだけど、マフラー代わりにだってなるだろう。
それを問答無用で彼女の首に巻き付けた。
「…なぁに?」
「すぐに治るとしても、ひかないに越したことはないでしょうから」
「……ありがとう」
冷え切った体には、こんなのただの気休めだろうけど。
無いよりはあった方が良い、寄り添ってくれた方が良い。
不意に彼女が空を仰ぐ。
「…くだらない話を、少しだけ聞いてくれる?」
「えぇ、もちろん」
「迷わないんだ?」
くすくすと笑う声に、つい紛れてしまうけれど。
このとてもとても綺麗な女の子は、きっととてもとても淋しいのだろう。
わたし如き――受験にはほぼ失敗しかけ、優しくもないし脆いし卑怯だし、どうしようもない欠陥人間――に、何が出来るかはわからないけれど。
それでも、すこしでも寄り添うことが出来ればと思ってしまったのだ。
とりあえずここまで!
わぁすっげー長い!
でもこれでまだ半分言ってないんだぜ…怖いんだぜ…。
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