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「…わたしが死んだら、わたしのこと忘れてくれますか?」
「なに、それ?」
穏やかな声には似つかわしくない言葉だ。
顔を上げると、君はいつものように微笑んでいる。
白い顔に、淡く浮かべられた笑顔。
君の得意な、うつくしく何もかもを拒絶する表情。
小首を傾げれば、彼女はより一層その笑みを深めた。
「ずいぶん、唐突なことを言うんだね」
「思考って基本的には突発的なものじゃありませんか?」
「君の場合はアクロバティックすぎるよ」
彼女の思考は一見酷く理論的で順序だっているように見えるけれど、時折恐ろしいくらいに飛躍する。
けれど彼女の中ではそれは矛盾することなく当然のように隣り合っていて、今でも俺は置いてきぼりにされることがしばしばだ。
「ねぇ、忘れてくれます?」
…こういうときだけ、甘えるように擦り寄ってくるのはずるいと思う。
尤も、彼女もそれを分かっているのだろう。
もちろん俺が分かっていることすらも。
「…君は、忘れてほしいの?」
逆に問う。
彼女はゆっくりと頷いた。
「えぇ、できることなら、完璧に」
多分、それは、嘘だ。
ゆがんだ形でしか表に出ることがない、彼女なりの本音。
忘れられるのが怖いくせに、君はそう言う。
「…そう」
忘れられる存在なのだと。
己を諦めてしまいたいのだろう。
傷つけて突き放して、責め立てることでしか君は自分を守れない。
酷く不器用で正しくはないやり方での、防御。
けれどそうでもしないと、君の心は折れてしまうから。
笑顔で造った仮面、それだって彼女にとっては必要不可欠な武装。
それを不幸とも思わない、悲しい君の強さが好きだ。
「…でもね、」
俺も微笑んで彼女の顔を覗き込む。
一瞬怯んで腰を引きかけた彼女の腕を捕らえて、逆に引き寄せて。
至近距離、色素の薄い彼女の瞳に笑ったままの俺が映る。
「忘れてあげない」
言い放つ。
君は弱々しく笑った。
「…ほんとうに、意地悪ですね」
「知らなかったの?」
「いいえ、改めて実感しただけです」
嗚呼、それでも。
この声は。
君の心に、届いたのだろうか?
「ことある毎に思い出してあげるよ」
「やめてくださいよ」
こつん、と頭を小突かれた。
その手さえ掴んで強く抱き寄せると、君が小さく息をのむ。
今この瞬間だけは、世界に俺達しかいないんだと思いたかった。
だから泣いても良いとか、そんな優しい言葉は俺にはかけられないけれど。
それでも君を忘れたくないと願う人間が傍に居ること、それだけ君が覚えてくれていればいいと。
「…先輩、」
「うん?」
忘れないで、わたしのこと。
囁かれた声、返事の代りに抱きしめる腕に力だけ込めた。
「…吸血鬼になりたい」
「え?」
ちいさく笑みをこぼして、俺は立ち上がる。
きょとんとこちらを見上げる顔、その白く冷えた頬に指を滑らせた。
くすぐったいのか微かに身じろぎした彼女。
柔らかい茶色の髪が揺れて、俺の指をくすぐる。
「吸血鬼?どうしてまた?」
「んー…ちょっとね」
言いながら俺は彼女の座るソファに片膝を乗せて。
背もたれに手をついて、自分の身体で彼女を閉じ込める。
俺だって特別背が高いわけじゃないし、別に彼女だってそんなに小柄というわけでもない。
なのに、目の前のあどけない顔立ちのこの人が不意に小さく見えた。
「…俺は性格が悪いかな?」
この人を、できることならずっとずっとそれこそ永遠に。
守りたいと思ってしまったんだ、俺のこの腕で。
「…良いとは言いませんけど」
向けられた苦笑に同じ表情で返す。
すべてのものから隔離して、彼女をガラスケースにでも入れるようにして守ってやる必要なんてない。
事実彼女は俺に逢うまでの人生を、その身一つで生きて来たのだから。
それが出来る君を、無菌室に閉じ込める必要なんて、ない。
「(…あぁ、それでも)」
これは俺の我儘で、エゴだってことも知っている。
だけど俺は、この人をずっと。
手の中で守って、外から守って、そうすることで。
――俺だけのものにしたい、と。
「…」
「先輩?」
腕を折って、顔を近づけて。
細い髪をかきあげると、露わになる白い首。
彼女のつけた香水が、理性をぐらりと揺らす。
「…ねぇ」
「…なんですか?」
首筋を吐息がかすめてくすぐったいのだろう。
彼女は少しだけ、笑うような声音で答えた。
頬と同じく冷えた指が、俺の後ろ頭をゆるくかき撫でる。
「…もしも、俺が吸血鬼で」
「はい、」
「君に、噛みつこうとしていたら」
君は、どうする?
俺と一緒に、死ねない身体になってくれるのだろうか。
俺と一緒に、暗い夜を歩んでくれるのだろうか。
子供じみた空想に、俺は少しだけ己を嘲った。
何を言っているんだろう、と思う。
所詮は空想だ、なのにどうしてこんなことを考えて不安なんて覚えたのか。
手に入れるって言うのは、失うリスクも一緒に抱くってことなんだなといまさらのように思った。
別に他人には執着していないつもりだったけど。
思ったより俺は、君に触れて弱くなっているらしい。
「…ふふ、」
ふ、と。
唐突に耳元を、笑い声がくすぐった。
顔を上げようとすると、よわく、けれど抵抗を赦さないやり方で俺の頭を撫でる手に力がこもる。
「…そうですね、」
顔を見ずとも、今の君がどんな表情をしているかは容易く知れた。
呆けたように言葉を持つ俺、君はひどく軽く俺の耳にキスをする。
「連れて行ってくれますか?わたしのこと」
全部知ってるみたいな声。
顔は互いに合わせないまま、冗談みたいに言葉を重ねる。
「…無鉄砲」
「先輩には言われたくないです」
「…ばかだね、君は、ほんとうに」
言いながら、首筋にくちづけた。
君が笑ったのが分かる。
「…あいしてる、」
囁いた声は、きっと聞こえていた。
縋り合って、救いあって。
たがいに求めて、寄り添う二人。
「そう言えば、デジャヴュって知ってます?」
唐突な声に、ふと意識を引き戻された。
顔を上げれば彼女がこちらを見つめていて、その瞳にやっと自分がどこにいたかを思い出す。
一度目を閉じて、それからゆっくりと微笑んで見せた。
「えーと、既視感、だっけ?知らない場所なのに来たことがあるような、っていう」
「えぇ、それです」
はじめて来た場所に覚えがある、会話の内容を確かに経験した気がする。
夢に見たとされるのが一般的らしいけど、それだってあやふやな物とも聞く。
どちらにしろ人間の脳の神秘、と括られてしまうような問題で、彼女がそんな話題を出してきたことがなんだか不思議でさえあった。
ゆっくり知識を手繰り寄せる。
何度か瞬きを繰り返した俺に向かって、彼女は含むようにして笑った。
「それでね、デジャヴュって実はドッペルゲンガーの記憶なんですって」
「…ドッペルゲンガー?」
懐かしい単語に目を細めた。
幼い頃はそういった都市伝説めいた話が好きで、テレビでやるとなると齧りついて見ていたからだ。
世界のどこかに存在する、自分と同じ顔の存在。
見ると死んでしまうとも聞くけれど、逢ったことはないから実際はどうなのかは分からないというのが本当だ。
でも確か「邪悪なもの」を意味するとも聞いたから、あながち間違ってはいないのかもしれない。
「それにしても珍しいね?君がそういう話をするなんて」
現実主義の彼女にしては珍しい。
揶揄するように問えば、彼女もおかしそうに笑う。
「いえ、ちょっと素敵だなぁって思ったんです」
「素敵?」
「もしもそれが本当なら、楽しいと思いませんか?」
デジャヴュはドッペルゲンガーの記憶。
ふたつの記憶が何かの拍子に薄くリンクして、それを共有しているのだとしたら。
「(…未だ逢わぬ、己の分身。いや…虚像、か?)」
どんなものかは知らないけれど。
もしかしたら、誰よりも近しい場所に居るのはその虚像かもしれない。
その想像は、なんだか甘美ですらある。
幼い夢物語の延長線上に位置するような、そんな空想ではあるけれど。
嗚呼だけど、もしかしたらその空想は。
…すこしだけ、孤独を癒すのかもしれない。
少なくとも、君の抱えた冷たい孤独の一端だけでも。
俺の考えてる事などお見通しらしい。
彼女は苦笑して、謳うように言葉を重ねる。
「…覚えのある痛みとか、切なさ。こみあげてくる郷愁や、突然の慟哭。そういったものが、何処かに居る『彼女』のものだとしたら」
そこで、目を閉じて。
世界の何処かにいるともしれない『彼女』に捧げるような面持ちで。
微笑んだ君は、一枚の宗教画のよう。
「…安心できる気がするんです」
あどけないほどの笑み。
取り残されてしまったことを、惜しむような悲しむような。
それを見た瞬間、身体の中を一陣の風が吹き抜ける心地を覚えた。
「…逢ったら、死んでしまうかもしれないのに」
「そうですね、だけどそれも悪くない」
「希薄だね、相変わらず…生きてるっていう実感そのものが」
「ふふ、私は欠陥品ですから」
そう言って彼女は時計を見上げた。
そろそろお互いに此処を出なくてはいけない時間のようだ。
名残惜しさを視線だけで伝え合い、それぞれ身支度を整える。
先にドアをくぐった彼女の背中に、俺は声を投げる。
「ねぇ、もし俺の分身に逢ったら」
「?」
振り向いたのは、笑顔。
聡明な君は、おそらく続きを知っている。
「…早く捕まえに行けって、忠告してやってくれる?」
「ふふ、じゃあ私の分身にもお伝え願えますか?もしも逢えたら、ですけど」
そして俺も、彼女の答えを知っている。
もちろん、少しの願いと期待を込めてはいるのだけれど。
あぁだけど、自惚れられるくらいには近くに居ると思ってもいいのだろう?
駆け引きとすら呼べない、罠の仕掛け合い。
見え透いたそれは、けれどやがて互いを縛りつける。
「…早く腹くくって捕まりなさい、ってね」
「了解、」
願わくば、どうか。
この言葉が目の前の君の心を揺らせていたら、とちいさく呟いた。
「オンナノコって、何て言って褒められるのがいちばん嬉しいんだろうね?」
淡い笑みをのせて問うと、彼女はすこし驚いたような顔をして。
それから、苦笑めいた笑顔で小首を傾げる。
「さぁ…どうでしょうね、褒められるなら何でも嬉しいとは思いますけど」
「そういうもの?…でも、上手に褒めないと怒らない?」
「あぁ、洋服褒めると『服だけなの?』とか?」
「あはは、そうそう、そういう感じ」
昔の恋人にはよくそう言って拗ねられた。
こちらとしてはしっかり褒めているつもりでも、恋人にはちょっと不満だったらしく。
『別にいいけど』なんて言って膨れていたのもずいぶん前のことだ。
そう言うと、君は穏やかに笑う。
「『新しいスカート可愛いね、よく似合うよ。俺はそれ好きだな』まで付ければ完璧だと思いますよ」
「口下手な男には厳しくない?それ」
「ふふ、でもお得意でしょう?」
「そこまで苦手ではない、ってとこかな?」
探り合うように間合いを詰めて。
一瞬でぱっと身をひるがえす。
互いに柔らかく笑んだまま、真意をかすかに香らせて。
俺たちにはそれくらいがちょうどいいのだと思う。
「でも、私としては楽で良いと思いますけどね?服とか、持物を褒められた方が」
「『楽』なの?嬉しいとかじゃなくて」
「…失言。嬉しいですよ?もちろん」
わざとらしい。
けれど君は知らんふりを決め込んだらしく、こころもち顔を上げて続ける。
作り物めいた澄まし顔。
俺としてはなかなか好みなんだけどね?もちろん、言ってはあげないけれど。
「その方が嫌みなく応じられますからね、お世辞もわざとらしくなりませんし。それに『ありがとう、どこそこで買ったの。でも次は貴女が着てるようなスカートを狙ってるんだ、それはどこで買ったの?』って言えば、あとは向こうが勝手に話してくれるでしょう?」
…他人の話を引き出して、自分のことは語らない。
相変わらずお上手だ、そうでなくちゃ受付嬢なんて勤まらないのかもしれないけど。
「ふふ、性格悪いね?君も大概」
「そっくりそのまま打ち返して差し上げます」
まぁ、確かに『可愛いね』だの『優しいね』だの、そういった抽象的な褒め言葉は返しにくい。
『君の方が可愛い』『貴方の方が優しい』、そういう言葉はどこか嘘くさく響くから面倒くさいのも分かる。
それにこういう言葉ってヘタしたらとんでもない皮肉かもしれないわけで、裏を読まなくて良いぶん『そのスカート良いね』なんていう単純な言葉の方が素直に受け取れるのだろう。
「まぁ言われてもにっこり笑って『ありがとうございます』って返しちゃいますけどねー。嫌みだって解ってても」
「それは君が何を言われても本気では受け取ろうとしないからだろう?」
「いちいち本気にするから振り回されるんですよ。ハナから嘘だと思ってればなんの損失も受けません」
まるで他人なんて信じてないように笑う君。
そんなに強いオンナノコじゃないくせに、と俺は喉の奥で笑う。
ホントは脆くて、弱くて、傷付き易くて。
言わないから癒えないんだよ?今も過去も。
「本心からかもしれないのに」
「私にはそれを判断することはできませんから」
「…他人を完全に理解なんてできないから?」
「えぇ、そうです」
いつだったか交わした会話だ。
向こうもそれを覚えているらしく、くすくすと可憐に笑い声をあげた。
他人を信じない君。
否、信じまいとしてそれを仕切れない君。
その瞳に俺がどう映っているのかは、未だにわかりはしない。
「ま、イイトコ性格の悪い上司、かな」
「何がです?まぁ、性格が良いとは言いませんけど」
「えー、否定してくれたって良いじゃん」
「すみません、私嘘がつけなくて…」
それこそ嘘みたいな話だね?
俺の視線に、彼女は肩をすくめる。
「…嘘つき」
「そちらこそ」
嘘つき二人。
君となら世界すら欺けるかもしれない、なんて思ったのは秘密だ。