※こばなし。
赤ん坊が生まれた時に泣く理由。
赤ん坊が生まれ落ちた時に泣くのは、この世界に生かされることを嘆いているからだと聞いたことがあった。
どうして自分を、どうしてこんな世界なんかに。
それを嘆いて怒って恐怖して、だから泣くのだと。
この毒だらけの世界に生まれたことは、彼の人にとってはきっと絶望だったのだろう。
「…」
空を見上げて、ひとつ息をついた。
世界は汚物にまみれ、それでもなお美しく。
澄んだ空、咲き揺れる花。
だからいつしか赤ん坊は忘れてしまう。
この世界が本当は、腐敗していること。
僕は忘れたくなかったのか、それとも忘れ去ってしまいたかったのか。
分からないまま、今日も生きている。
小さな屋上から、世界を見下げて絶望。
そして。
「…ねぇ」
後ろからの声に振り返ると、クラスメイトが立っていた。
紺色のセーラー服、リボンとスカートがはしゃぐように風と踊る。
決して洗練されているとは言えない制服は、ついこの間行われたばかりの生徒会役員選挙で候補の一人が廃止を公約に掲げていたような気がする。
「何してるの?」
どうでも良い記憶を次々辿る僕に、彼女は首をかしげた。
無機質な瞳は、真っ直ぐに僕を映して硬く煌めく。
その瞳を眺めて、僕も首をかしげた。
「何って、なにが?」
「あなたが」
「じゃあ、君は何してるの?」
「わたし?」
問われて少しだけ彼女は驚いたらしく、数度瞬きをする。
それから、そうねと少し笑って。
「あなたを見てるの」
「そう」
「あなたは?何をしているの?」
その言葉に僕も微笑む。
そうだね、と小さく前置きをした。
「…君を、見てるのかな」
「そう」
問うた割には興味のなさそうな声。
それでも僕にとっては嫌いな部類ではなかったので、そのまま会話を続けるでもなく彼女に背を向けた。
再び、フェンスに寄り添うようにして外を見下ろす。
泣き喚いた赤ん坊は、それでも誓うのだ。
己の中で、たったひとつの誓いを掲げる。
この世界になど染まってやるものか、馴染んでやるものか。
尊く気高く、生き抜いてやると。
それは彼の人が最初に抱く崇高でさえある、祈り。
だけどいつしかそれを忘れるのだ。
見かけ倒しのうつくしい世界に騙されて。
死ぬ間際に人が思い出すのは、最初の誓いとそれを果たせなかった己のことだろう。
「ねぇ」
「なに?」
もう一度問われて、振り返る。
さっきと変わらない様子で、彼女はそこに居た。
少し強めに吹いた風が、彼女の髪を揺らす。
うつくしい、とどこか遠くの方で思った。
灰色のコンクリートに、くすんだ紺の制服。
華やいだ色みのない場所で、彼女は潔くうつくしい。
今度はきちんと身体を向けた僕を見て、彼女は満足げに笑った。
「頼みがあるの」
「僕に?」
物好きだ、と思う。
僕に、僕なんかに。
うつくしい彼女のことだ、君が微笑めばいくらでももっと役に立つ人間がこぞって手をあげるだろうに。
皮肉ではなく純粋に疑問としてそう感じた僕を、見透かすように彼女は僕を見つめる。
「えぇ、あなたに」
「…ずいぶんと物好きだね」
「そうかな」
彼女はゆっくり僕に近づいてくる。
僕の隣に立って、フェンスに手をかけた。
カシャン、と冗談みたいな音が鳴る。
そして君はもう一度問いを重ねた。
「…赤ん坊は、どうして泣くんだと思う?」
「呼吸するんじゃなかったっけ?泣くことで」
至極当然な答えを返すと、彼女はゆるりと首を振った。
丁寧につくられた完成品、神様は戯れのつもりが本気で人間を造形するつもりになったんだと思わせるような。
完璧な笑顔で、君は言った。
「違うわ。赤ん坊はね、生まれたことに絶望して泣くのよ」
「…詩的だね」
「あなたもそう思ってるんでしょう?」
何もかも知ったような顔。
降参だと告げるために僕は肩をすくめた。
「…何が言いたいの?」
「そこで、頼みがあるんだって」
繰り返される言葉。
ぶつかり合った瞳が、互いに映したのは何か。
せめて希望で在ればいいと、ぼんやり思う。
「世界に絶望するのはとりあえず置いておいて、わたしだけを見てくれない?」
君となら、すべて忘れて腐敗していくのも悪くはない。
意味が繋がらないような話、を書いてみたかった。
なんか、後味のイマイチすっきりしない感じ。
個人的にこういう話は自分の中で折り合いがつけられれば大変好みなのですが、つけられないともぎゃー!ってなります(何それ)
変に不器用に生きる人たちが愛おしくてたまらないのです。
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