彼女は春が嫌いだ。
散り逝く桜の花も、甘く穏やかな日差しも。
それらはあまりに美しすぎて儚すぎて、何時だって彼女を拒絶する。
化け物の子供を。
世界に憎まれた、彼女を。
彼女は春が嫌いだ。
その絢爛豪華なひとときは酷く脆くて、彼女がさして力を込めずとも容易く壊れてしまう。
そして耳元で嗤うのだ、破壊しか生まない己を。
馴染むことすら許されない、異端の身体を。
彼女は春が、嫌いだ。
何故なら春は、彼女が彼女を捨てた季節。
「ねぇ、どうしたの?」
呼びかけられてはっとする。
弾かれたように顔を上げれば、彼の気遣うような眼差しが自分に注がれていて。
ようやく自分が、彼の家で桜を見ていたことを思い出す。
「…ごめん、ちょっと考えことしてた」
そう言って、誤魔化すように窓の外に目を向けた。
夕闇に霞み始めた空、うつくしい春の象徴がそこに静かに佇んでいる。
「何を考えていたの?」
「ちょっとだけ、昔のこと」
自分がもっと、もっと幼かったころのこと。
弱くて臆病な女の子だったころのことだ。
もう捨てたはずだったのに、時折彼女の中で(彼女)が泣くのだ。
気付いて気付いて、思いだしてと。
そんな事を考えてしまうのがもう可笑しなことなのにと、笑う。
「…綺麗」
呟いて、目を細めた。
弱い風にもその枝を揺らし、雪のように花びらを降らせる桜。
けれど、彼女はこの花があまり好きではない。
「…だけど、はやく夏にならないかしら」
渡された紅茶を一口すすって。
もっと乱暴でもっと煌めきに満ちた季節を望む。
花冷えの空気に晒された身体に、熱い紅茶がひりつくようにして染み込んでいく。
「なぁに、それ」
彼が微笑した。
「君は、夏が嫌いじゃなかった?」
「…暑いのはちょっと苦手」
だって、彼女は夏に弱い。
焦げ付く暑さも、強い日差しも。
生命力にあふれた夏の匂いも、肌に纏わりつく湿った空気も。
みんなみんな苦手な彼女は、夏の盛りには不健康に青い空気の中でしか生きられない。
「でも、春は好きじゃないの」
「…どうして?」
彼は尋ねて、眼前の桜を見上げた。
どこまでも白に近い、薄紅。
雪景色と見紛うほどに儚げなその花は、人形めいた美貌の彼女によく似合う。
なのに、彼女は春が好きではないというのだ。
世界の中心に彼女を据え置いた彼は、彼女に愛されなかったこの季節を哀れに思う。
ふと、彼女が唇を尖らせた。
「…だって、春には桜が咲くじゃない」
「可笑しなことを言うね?」
彼はもう一度笑った。
春に桜が咲くのは当然だ、季節が進む限り、必ずこの花は同じ季節に咲く。
けれど彼女は真面目な表情で続ける。
「でも、春が儚くて淋しいのは桜があるせいじゃない?」
「そうかもしれないね」
「…あたしは、儚いものは嫌いなの。だって、」
だって、あたしはそれを――壊してしまう。
見上げた瞳に、はらはらと散る桜の花びらが映り込む。
「…」
「あたしが一度ささやけば、きっとこの花なんて一瞬で散るもの」
彼女は風の女王。
君の前では、この花は無力に等しい。
否、桜だけではないのだろう。
世界は彼女の足元にひれ伏したも同じこと。
愚かで愛しい女神の前に、この世のすべては膝を折る。
「…ごめん。変なこと言ったね」
彼女が明るく笑った。
「ちょっと感傷的になってるみたい。ごめんね、忘れて」
春の気配に、惑わされただけ。
明日になってしまえば、きっと忘れてしまえるから。
真っ直ぐな彼の瞳から逃げるように、そっと目を逸らす。
「…確かに、君は一瞬で春を終わらせることができるけれど」
けれど、声は耳に飛び込んで。
思わず彼女は身を固くした。
耳元に、彼の指先が触れる。
「…」
「だけど、君はそれをしない。そうだろう?」
掌の中のカップを奪われる。
顔を上げると、彼は柔らかに微笑む。
内緒話でも告げるように、寄せた額は確かな温度を持っていて。
「その力を行使しないのは、君が春を愛している証拠なんじゃないかな」
散り落ちた桜の花を、彼女の髪にさした。
似合うねと笑えば、つられて彼女も少しだけ笑う。
「今だって君はこうして春を愛して見送って。だからね、君は破壊神にはなりえないんだよ」
ふれた掌は、春そのもののように甘やかに冷たくて。
春の匂いが取り巻いて、ここだけが隔離されているようだった。
夕暮れに霞む庭。
切り離された世界の中に在るのは、春に愛された彼らだけ。
桜企画、彼と彼女です。
でも実はリサイクルなんだぜ!!
甘いなー、甘いなーほんと。
なんでこの二人はたまーにこうやって甘くなるんだろう。
照れてしまいます、こういうのは。
そろそろ散り始めるころでしょうか?桜が散るのはうつくしいからそれも楽しみですね。
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